父の思い出 2
半年が過ぎてしまったね。
もう、突然頭の中で父の声が聞こえることもなくなってしまった。
だから時々意識して父の声を思い出してみる。
「メー子(母の愛称)!メー子!……ゆき、お母さん呼んで」
このフレーズが一番、父のリアルな声を思い出せる。
昭和の男(本当は大正生まれだけど)父は、いつも母を呼んでいた。
「メー子、水」
「メー子、靴下」
「メー子、鞄」
「水くらい自分で持ってきなさい」
と言いながら水を持って来る母。
無言の父。
「靴下そこに出してあるでしょう」
「えっ?」
「鞄?鞄てどの鞄?」
「…………。」
「なんの鞄よ〜?」
父は母を呼ぶ以外、あまり積極的に喋らなかったから、それ以外の声を思い出すのは難しい。
寡黙な父は、私と2人きりになると益々喋らなかったように思う。
子どもと何を話せばいいのか分からなかったのかもしれない。
とても鮮明に覚えている昔の出来事がある。
私がいくつだったのか…小学校に上がるか上がらないか位だと思うが…。
私は父と手をつないで歩いている。
出勤する父を駅に向かう途中まで送って行くのだったと思う。
やはり2人には会話はない。
でも、私は父を送るという大役を務めるので、とてもウキウキしていた。
突然、父が私の手をキュッキュッキュッと握った。
私はキュッキュッキュッと握り返した。
また父がキュッキュキュキュッ。
キュッキュキュキュッ、私が同じリズムを繰り返す。
キュキュッキュキュッ
キュキュッキュキュッ
キュッキュッキュキュキュッ
キュッキュッキュキュキュッ
キュキュキュキュギューッ
キュキュキュキュギューッ
キュキュッキュキュキュッキュキュッキュッキュッ
キュキュッキュキュキュッキュキュッキュッキュッ
言葉はなくても、心が通っていた。
父と気持ちが通じたのがとても嬉しかった。
めったに褒めない父が「難しいリズム、よくできたねぇ!」と褒めてくれたのも嬉しかった。
私が大人になって、父は仕事を引退して足が弱くなってから、何回か行った旅行で、父と私は手をつないで歩いた。
私は子どもの頃を思い出して、父の手をキュッキュッキュッと握ってみた。
父はもう忘れていたのだろう。
わずかにキュッと返しただけで、リズム合戦が続くことはなかった。
でも旅行中、歩けなくなった父の車椅子を押している時、同じ景色を見て同じ感動を味わっていた。
その時はやっぱり心が通じあっていたと信じている。