将棋
父との数少ない印象的な思い出は書き尽くしたと思っていたけれど、藤井四段の将棋の話題で思い出したことがある。
将棋が好きだった父は、新聞に載っている詰将棋の問題に、「ハア、ハア、ホオ!…っハアー!」と感心して唸りながら駒を打っていた。
私も低学年の時に、駒の動かし方や攻め方を教えてもらって、時々父と勝負した。
私はまったくセンスがなかったので、教えてもらった通りのことしかできず、計算も何もないデタラメでしか打てなかった。
それなのに、父は私の一指しごとに「うーん、これは…。……。……。どういう手だ?うーん……。……。……。こうして、ああして、こうなるから…。」と深く深く考える。
いやいや、何も考えてません!
と言うのも悔しいので、いかにも策があるような素振りで進めるのだが、頭空っぽで打っているわけで、結局は父に詰められて王手される。
最後に「まだまだだな!」と言われていつも悔しい思いで終わる。
いつだったか、もう私が一人暮らしをしていた頃に、ガレージショップのようなところで、ファミコンと将棋のソフトを手に入れて、父にプレゼントしたことがある。
ソフトには名人棋士の名前がついていたけれど、機械vs人なので、機械の番になると間髪入れず駒を打たれるのが急かされるようで、あまりお気に召さなかったようだ。
それから、父の誕生日か何かに、詰将棋の問題集をプレゼントしたこともあった。
父が詰将棋のどんなところに魅力を感じるのか、私にもわかる。そして、あの感心した時の声「ハア、ハア、ホオ!…っハアー!」を思い出してはクスクスと笑ってしまう。
お父さん、お誕生日おめでとう!
父の影
父との新しい思い出が増えていかないことが、当たり前なことになって、寂しいとか悲しいとか、あまり感じなくなって。
でも忘れてしまっているかというと、その逆で、街に出た時に杖を持っているおじいちゃんを見たり、父みたいなぶっきら棒な掠れた声を聞いたりすると、ハッと見つめてしまう。
困ってることないかな、助けてあげられることないかな、って。
この人は幸せかな。…父は幸せだったかな。
この人は誰かと気持ちがつながってるかな。…父は私と気持ちがつながっていただろうか。
この人は娘がいるかな。…父は私が娘でどう思ってたんだろう。
結局のところ、私は父を安心させてあげたり、心を通わせて何かにウキウキしたり、感謝を込めてありがとうを伝えたりできなかったという思いがあるから、杖を持ったおじいちゃんが背中を丸めて歩いていたりするのを見ると、その背中にトンと手を置いて伝えたくなってしまう。
今、私たちがこうしていられるのは、あなたのおかげです。ありがとうって。
ルウはもうすぐ8歳になります。
お父さんが一人でセントラルに働きに出た時の私の年齢です。
その頃の私の思い出は、セントラルの油の匂いがするお父さんと、フォークリフトを運転するお父さんと、相模川です。
お父さんのその頃の記憶はなんだろう?
プレハブの階段の途中が侵食して抜けそうだから気をつけてと言う声が聞こえてきました。
まだお父さんの声は聞こえるよ。
お誕生日おめでとう!
じぃじの愛
今日、ルウとじぃじの話をしたよ。
ぎゅーして
きりんになったよ
意外な一面
うちの娘ルウが人見知りが激しく、臆病であるということは、私の周りでは周知の事実。
チャーリーとルキの娘なのに⁈とみんなが思っていることだろう。
ところが……
先日、保育園の友だちに、地域のお祭りに誘われて行った時のこと。
焼きそばや焼き鳥などの屋台の中に、紙芝居のコーナーが設けられていて、おばさんが色々な紙芝居を積んで座っていた。
ルウが「紙芝居が見たい」と言うので、「何時からやるのか聞いてきたら?」とダメ元で言ってみた。
すると、ピューッと走って行って、紙芝居のおばさんと何か話している。もちろん知らない人だ。
内心驚きながらも、知らん顔して待っていると、ルウが戻って来て「何時からってわけじゃなくて、人が集まったらやるんだって」と報告してくれた。
ちゃんと質問できたの⁈
ちゃんと会話してきたの⁈
びっくりだけど嬉しいわ。
でもまた素知らぬ振りで「じゃあ、お友だちみんな誘っておいでよ」と言うと、またピューッと走って行って、会場に来ていた5〜6人の友だちに声を掛けて、みんなを連れて戻ってきた。
そして姐御のように、みんなに靴を脱いで座るように促し、好きな紙芝居を選んで、自分はど真ん中にでんと座った。
アナタのそんな姿見たことないよー‼︎
アナタ、結構貫禄あるのね。
そして目を丸くした次の日、保育園で帰りが一緒になった男の子たち3人とはしゃいでいたルウが言った一言にまた度肝を抜かれた。
「男ども、ついて来い‼︎」
わらわらとルウについて走っていく“男ども”
ひょえー!
母ちゃん、腰抜かしちゃったよ。
目醒めの時は近いのか⁉︎